毎日ばあちゃん

99才、お迎えが来たけど断ったばあちゃんの事。家族の事。自分の事。

マクラメと私

2011年。1ヶ月かけてタイを旅した。
バンコクを拠点に、南の離島コタオ、その後北に向かい、ミャンマーとの境くらいまでをノープランに気ままに移動する旅だった。

ワーホリでオーストラリアに行っていた当時の彼が、約2年のワーホリが終わるタイミングでそのままタイに行くというので、じゃあちょうど仕事も辞めたとこだし私もタイで合流しようかな、という流れでの旅だった。

まる1ヶ月の旅はとっても濃くて、色んな出会いがあって、波乱万丈で、なかなか一言では言い尽くせないのだけれど、この旅一番の出会いは、なんと言ってもマクラメとの出会いだったと7年経って改めて思う。

ちなみにマクラメ(編み)とは、指で糸や紐を編む技法の総称のこと。
総称なので、単に「マクラメ」と言った場合かなり広義になってしまうのだが、私のやっているマクラメは、「マイクロマクラメ」というものに定義されるのかな。
(そこらへん、あんまり詳しくないので違ったらすみません)
0.5ミリなどの細い蠟引き紐を使って天然石を編み込み、アクセサリーを作るというもの。

当時マクラメのアクセサリーは持っていたものの、手作りという概念が全く皆無だった私。それが、このタイの旅で出会ったある1人の男の子によって大きく変わった。

その男の子は、自分でマクラメを編みながらそれを道ばたで売って旅の資金を稼ぎ、インドを拠点にひたすらアジアをぐるぐるしているという子だった。

道具は必要ないし、紐と自分の指さえあればどこでも編めるからね。時間はいっぱいあるし。と言うその子の笑顔は、最高にキラキラしていて、とっても眩しいなと思ったのを覚えている。
その笑顔を見て私は、この人は今素敵な時間を過ごしているんだろうなと思った。
その最高の笑顔が実際、素晴らしい時間の積み重ねによって自然に出てきたものだ、とも思った。

すぐに、私もマクラメやってみたいなという気持ちが湧いてきた。

でも、最初からのめり込むようにマクラメにはまっていったわけではない。
どちらかと言うと少し打算的というか、淡い夢のような気持ちが含まれていた。というのが正直なとこかもしれない。

と言うのも、当時私の彼はオーストラリアの路上で打楽器演奏をしてお金を稼ぐ・・いわゆるバスキングをしながら旅を続けていたヒッピー能天気野郎で(あ、これは彼のことや、ヒッピーやバスカーを否定するものではなく、私なりの愛情表現の一種です。)
色んな国に行って自分の腕を試したいという希望を持っていた。
そして、タイで合流した際、このまま一緒に旅しない?と言われていたのだ。

私はなんて楽しそう!と思いつつも、
自分はそのスタイルの旅をしても何も収入がないし、彼におんぶにだっこはどうしても嫌だ。何か手に職さえあれば、、いやいや、その前に日本には色々残してきちゃってるし、、、ぶつぶつぶつぶつ・・・とにかくすぐにはムリだ!
と目先と後先の事しか考えられず、行きたい気持ちはあるけど今すぐには無理だよ、、タイでの1ヶ月が終わったらあたしは一旦日本に帰る、と答えたところだったから、
マクラメが「これであたしも旅ができるかも!」という希望のように思えたのだ。
今にして思えば、何にもなくたって旅は出来たのにね。その頃の私はかなり現実的というか保守的、だったと思う。


さて、カオサン通りの雑踏の中で再び会った時、マクラメの男の子は私とヒッピー野郎の彼に、マクラメ編んでみる?指輪くらいなら1時間くらいで作れるよ。と言ってくれた。

私も彼も、喜んで教えてもらうことにした。
人や犬や露天商や食べかすやゴミやらでごった返す道端に座り込み、道具を全く使わないスタイル(縦糸になる紐を自分の足指に絡めて編んでいく)で編む初めてのマクラメは自分にとってはかなり難解で、結局4時間くらいかかってしまっただろうか。
陽もとっぷりと暮れ、煌々と・・いや、ギラギラと輝くカオサン通りの店明かりでなんとか手元を照らし編みあがった指輪は、なんとも不恰好で、とても見れたような代物じゃなかったけれど、黙々と編む行為、そして数字を読んでいくようなその作業に、頭を抱えつつもハマってしまった。
というか、もっと編めるようになりたいと思った。

私はすぐに近場でマクラメの材料が手に入るところを探し、石を手に入れ、旅の間中マクラメを編んだ。

1ヶ月の滞在が終わって日本に帰って来てからもマクラメ熱は冷めず、教えてくれる人を見つけては単発で新しい技や基本を習い、本やネットで情報を集めた。
その頃はまだ今みたいにマクラメ本やネットの情報も少なくて、教えてくれる人もかなりクローズな感じでやっていたので、覚えるにはかなりの時間とお金がかかったけど、とにかくコツコツと続けた。

それから2年くらい後にヒッピー野郎の彼とは別れたのだが、一緒に旅をするための手段は必要なくなったにもかかわらず、それでも私のマクラメ熱は冷めなかった。
熱しやすく冷めやすい私にとって、バスケ以来熱中しものは初めてだった。

7年経った今は、ある程度人に教えられるくらいには上達したし、オーダーをもらったりするくらいまで成長した。
最近は、マクラメで使う天然石を仕入れる楽しみも増え、それなりにやっている。
いつかまた、仕事を辞める日が来たとしても、自分がどこに行ったとしても、紐があって、手を動かす事さえ出来るうちは、マクラメで多少は食べていけるんじゃないかという自信もついた。
これからの自分がどうなっていくのか、いまだ全くわからない私だけど、マクラメとは一生つきあっていくのだろうなと思う。

そんなものに出会えたタイの旅。
あの時マクラメをおしえてくれたあの子は、今どうしているんだろう。
オーロヴィルあたりに腰をおろしてたりして。。
石の買い付けとか、ネパール旅行の事とか考えてたら、久々に思い出し&馳せた今日でした。

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最近の仕入れ。

なんとも女性らしい美しさをまとったクォーツたち。