毎日ばあちゃん

99才、お迎えが来たけど断ったばあちゃんの事。家族の事。自分の事。

終わりと始まり

仕事を辞める事が決まった次の日、しばらく会っていなかった友達から「元気〜?」と一言だけのLINEが来た。


彼女とは、元彼の友人として出会った。

ヘナアーティストであり、ポイパフォーマーであり、ものづくりもする彼女と、その頃マクラメ作家を夢みて駆け出しだった私は、出店しながら日本中をキャラバンしたら楽しそうだねー、なんて話から、出店仲間として行動を共にした時期があった。

仕事終わりに疲れ果てた体で夜行バスに乗り、淡路島まで出店しに行った時もあった。

車を車中泊仕様に改造した彼女の車で寝泊まりしながら、色んな話しをした。

繊細な彼女と大雑把な私。

気質は正反対なのだけど、お互い人に気を使いがちってとこはとてもよく似ていて、でもだからなのか、私たちは一緒にいる事がとても自然で、すごく気持がよい。

そんな関係だった。


そのうち私は本業(その当時私はNPOで馬車馬のように働いてました・・)の方が忙しくなって、二足の草鞋が肉体的にどうにもこうにも辛くなって、

最終的に出店することもマクラメを作る事も辞めてしまったのだけれど、彼女はその後も旦那さんと二人三脚、様々な創作活動・出店を続けていた。


そんな彼女からのLINEに、私はメッセージではなくすぐに電話をした。

開口1番、彼女は、実は相談があって連絡したのだと言った。


聞くと、最近個人事業主として企業をした。色んな人に手伝うよーって言ってもらったのだけど、、私の中で1番一緒にやってもらいたのはあなたなので、時間があればどうにか手伝ってもらえないだろうか。という内容だった。


なんとまぁ、、まるで私が仕事を辞めるのを見計らっていたかのような・・。

こんなバッチリタイミング、手伝わないわけがない!


巡り合わせとご縁の不思議を感じながら、楽しい事が始まる予感にわくわくが止まらない夜。

人生は、最後の時がくるまで出会いと別れ、終わりと始まりを繰り返すんだなぁ。。

新しい事が始まる時の緊張と高揚感っていいなー。

あと2ヶ月

仕事を辞める事にした。

というか、そもそも契約社員として今の会社に入った1年前、当初から3ヶ月で辞めるか、半年で辞めるか、、なんて思って入社したので、正確には辞めるタイミングを決めた、と言った方がいいのかもしれない。

割り切って働く予定が心折れるまで働いてしまったのは計算外だったけど、とにかくよく頑張ったし、もういいよね。


それで、会社とも合意がとれて2ヶ月後の退職が決まったのが昨日。ほやほや。

不器用な私は、お給料をもらって働いている間は他の事が考えられないから(もうね、副業とか絶対ムリなタイプ)、退職したら少しだけゆっくりしたい。

出来れば、その間に実家に帰ってばあちゃんに会えたらいいのだけど。。どうかな。こればっかりは分からないな。



記憶の退化

3年振りにブログに戻ってきて、そんなに多くはない自分の過去ログを読んでみてビックリした。。

今の私、3年前と比べ物にならないくらい幼い頃の記憶が退化している。。


おーい?私の記憶は一体どこへいってしまったー!ってまぁ、どこにもいってないんだけれど。


でもこれ、もう少し年齢を重ねると更に直近の事も忘れちゃうのかもしれない。

いや、「かもしれない」どころか、近い将来必ずそんな日がやってくるって断言できる。わー。。

だとしたら、何のために書いてるの?って思うこのブログも、こうやって少しずつでも言葉にして残しておく事は結構重要かもね。


他愛のない日常の一コマも、自分の言葉で、その時の感情を残しておくことで、記憶のプレイバックが鮮明になる気がする。


さてさて、今日から改めて、毎日コツコツ書いてみるか。



久々ばあちゃん

すごく久しぶりに、はてなブログをひらいてみた。

長らく放置しても、普通に使えるもんなんだなぁ・・!なんて当たり前のことを思いながら、3年振りのブログを綴ってみている。


3年前、もう残り時間あとわずかと言われたばぁちゃんは、病院に入院したまま元気です。

世の中がコロナ禍になって、お見舞いに行けないまま2年が経つんだけれど、

会話出来るほどの意識を保ったまま、103才をむかえました。

39度の熱が4日間続いたり、尿管の手術をしたり。何度もヒヤッとする事がありつつ、それでもやっぱり元気になって戻ってきてくれる。


こんな世の中になって、

誰にも会えず、ひたすら病院のベッドの上で過ごす毎日を思うと・・本当に心が痛むけれど、多分ばあちゃんは今めっちゃ頑張ってる。

再び家族みんなに会えるその時まで。

自分のためじゃなく、家族のために。

低燃費、省エネ、、そんな感じで命の灯を繋いでいるんだと思う。


ごめんねとありがとうが入り混じる複雑な感情で、今日もあたしはばあちゃんを思う。


ばあちゃんの足の爪


仕事が忙し過ぎて全然更新出来なかったけど、寝れない夜を過ごして朝まで起きてしまったから久々に更新しようかなと思う。


この1ヶ月、ひたすら仕事に明け暮れていた。

仕事に追われて他のやる気が起きないって人生で一番避けたいことなんだけど、不覚にも今その状況。

あたしはこんな働き方をしたいわけじゃない。

でも、やらなきゃ終わらない。

っていう使命感。なんだかなー。


寝れない今、ふと思い出したのはばあちゃんのことだ。

入院したての時のある出来事。


その頃、、おそらくお迎えが来る直前なのだけど、ばあちゃんは生死の境にいて、魂もふわふわしてたのだと思う。

蘇った今でこそ、視線ははっきりとしているし私と普通に電話で会話まで出来ているが、あの時ばあちゃんは私の事を分かっているようで分かっていなかったと思う。

黒目がまるで透明になったみたいに、どこかずっと、遠いところを見る目で私を見ていた。


元気な頃、ばあちゃんの足の爪を切るのは私の役目だった。

ばあちゃんはいつも私以外に頼めないと言っていたけど実際どうだったのか。

分からないけれど、でも実際いつも切るよと足の爪を見るとばあちゃんの爪は鬼のように長く伸びていて、あんまり長いと一気にバチンっと割れてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしながら切っていた。

私のヒヤヒヤをよそに、ばあちゃんは何食わぬニコニコ顏で爪を切ってもらっていて、人に切ってもらうって怖くないのかなー、と思いながら切っていたのを思い出した。


それなのに、入院してすぐに私が足の爪を切ろうと看護婦さんに爪切りを借りると、ばあちゃんは怯えた顔をして遠ざかるように父さんの腕を掴んだ。

父さんはなだめるように「なんも怖くない。いつも切ってもらってたんでしょ。」とばあちゃんをなだめたけれど、その時ばあちゃんは私が爪きりを看護婦さんに返すまで父さんの腕を話さなかった。


ショックとは違う。

でも、今ばあちゃんに一体何がおこっていて、何を思っているのか、それが知りたいと思った。


何がおこっていたのかなんて一生分からないのに、そんなことを考えて眠れない夜。


あー。もう少し更新頻度あげれるようにしたいな。



万引き家族

映画、『万引き家族』を見てきた。

と言っても公開直後に見たのでもう1ヶ月以上前のことなんだけど、なかなかブログを書けずにいた。何度も見直しては書き直して、やっと上げれるかな。


とにもかくにも、カンヌでパルムドールを獲得した話題作。

「一番好きな映画監督の作った新作」という自分のうがった思考を停止させて、ひたすらこの一作品を見て感じる事に集中しようと思って見てきた、感想。


ネタバレにならない程度に・・今回映画を見て私が感じた一番の印象は

「今までにない是枝作品」だなーということ。

それがいいか悪いか、好きか嫌いかはぜひともご自分で見て判断して欲しい。

とにかく私は、是枝さんの新境地?というか、新たな一面を見た気がする。


というのも、今回の映画は今の日本・・・いや、日本の政治を直接的に批判する要素が強い。

確かに今までも是枝作品はメッセージ性が強かった。

ドキュメンタリー出身というだけあって、家族や人の関わりというフィルターを通して常に社会性のある物事をテーマにしてきた人だ。

でも、これまでは割と直接的な表現よりは間接的に、、穏やかな空気感を強調してメッセージを伝えてきたように私は感じている。


今作品はその表現方法というか、手法?に大きな変化を感じた。

是枝監督という人の中に内在する怒りにも似た強い感情。

と言ったら言い過ぎなのだろうか。。

うまく表現できないのだけど、そんな「芯からの強さ」を感じた。

今までで一番、今の日本を我が事として立ち返ったり、未来へ繋ぐ責任のようなものを問われている気がした。


何かのインタビューで、「誰か1人の為に作ったものは、結果多くの人の共感を得る。とにかく1人のために作れ。という製作時代の教えにそって、、今回のこの万引き家族という作品は、ある1人の女の子のために作ったのだと思う。。」と是枝監督本人が語っていたのだが、そのバックストーリーを概要だけでもいいから聞ける機会があればいいなぁと心から思う。

ティーチインのイベントなんかがあったら是非とも足を運び、直接聞いてみたいところ。



あー。。この映画を見た色んな人と、この映画について語りたい。

この映画を通して是枝監督についてを語るでもいい。

夜な夜なそんな会が出来たら楽しそうだな。

お酒飲みながらぐだぐだとね。



余談だが、、キャスティング(全てではない)にスポンサーの匂いがプンプンしてる感じがして、それが少しだけ残念でした。






junnos@chitchat 2018/6/21

junnos(ジュンノス)という果てしなくカッコいいアーティストがいる。


『旅人』という言葉がとてもしっくりくる。

男臭さと繊細さが入り混じった何とも言えない歌詞を綴り、そこら辺の道端で出会ったら絶対職質されそうな見た目をしている。


奥さんと小さなお子さん2人を連れ、車のおうちで全国津々浦々キャラバンしながらライブ生活を続けていたが、ある時その車が横転して、一家4人は「車のおうち」を失ってしまった。

その後、junnos一家は種子島に定住。それからは1年の間に 1〜2回?身近な場所までライブにやってくる。


そして今また、そのライブの時期がやって来た。


当日バッチリのタイミングで電車が遅延したため、 1時間もしない距離だったにもかかわらず、会場のchitchatに着いたのは予定の2時間遅れ。

残念ながら 1セット目を聞き逃してしまったのだけれど、ショットの差し入れをひっかけた後の2セット目は、丸々しっかり堪能出来た。 10時には終わらないとと言いながら、セルフアンコールよろしく、たっぷり 1 1時過ぎまで歌ってくれた。



はぁしかし。

1年振りのjunnosは変わらない鮮やかさでそこにいた。

 1曲ごとに泣きそうなほどの幸せを感じながら歌って踊って飲んで食べた。


chitchatには特に待ち合わせたわけではないのに待ち合わせたかのような久々な人たちが集い、

普段一緒に過ごしているわけではない人たちといつも一緒にいるみたいな感覚で同じ音楽を聞き、

同じ歌を一緒に口ずさむ。

誰もが笑顔になって騒ぎまくる小さな空間が心地よかった。


junnosの歌を聞いていると、普段どんなに辛い事があってもこれまで生きてきてよかったと心から思うし、これからもただ生きるだけなのだなと悟りのような気持ちが湧いて来るから不思議だ。

悲しいとか辛いとか、負の感情を一時忘れさせてくれるのとは違う。自分の中で無理なく消化出来ていくような感覚。

それも全てまやかしなのかもしれないけれど、それでもなんでもとにかくめちゃめちゃスッキリする。


好きなアーティストはたくさんいて、それぞれに良さがあって、junnosだけが特別なのではないけれど、彼の歌がたくさんの人に届けばいいなと心から思う。


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