毎日ばあちゃん

99才、お迎えが来たけど断ったばあちゃんの事。家族の事。自分の事。

vol.2 はじまり

さて、ばあちゃんの見守り日記を書くにあたり少しだけ、思い出話をしたいと思う。

 


私は、自分が2歳の時に産みの母親を亡くしている。

「風邪をこじらせたかな?」と病院に行ったら末期の肺がんと申告され即入院。そこからわずか半年足らずでこの世を去ってしまった。一度も自宅に帰れなかった。

まだ30代前半、2歳と3歳の子どもを残していかなければならない母の気持ちを思うと、自分の事より悲しい気持ちになる。。




それから半年も経たない頃。

今度は父方の祖父が亡くなってしまった。

長年患った糖尿病で長期入院の末だった。


わずか半年の間に妻と自らの父を亡くした父さんは、一体どんな心境だったのだろう。

神さまは時にひどく残酷なことをする。

 


しかしこの亡くなった祖父は会社を経営していたので、父さんはこの途方もない悲しみにくれる間もなく、祖父の会社を切り盛りしなくてはならなくなる。

当時まだ30代そこそこ。

自分よりも年上の諸先輩方を相手に、傾きかけた危うい会社を切り盛りしていくのは本当に大変だったろうと思うが、逆に壊れてしまいそうな心をこの忙しさが救ってくれたのではないだろうか。

というか、そうであって欲しい、、

愛する人を失った時、根本解決には時間がかかる。悲しみを一時でも忘れるには謀殺が一番。


 

そして2歳と3歳の私たちきょうだい。

母親がいないことについて、周囲の人々はずいぶんと不憫がったものだが、当の自分はこの時、どう考えても父さんが一番かわいそうだし、見るからに心を痛めていると感じていた。

父さんを見ていると、自分の寂しいとか悲しいという感情よりも私が父を励まさなければ・・!という使命感でいっぱいになっていた。

兄もまた一緒だったのかもしれない。

2人きりで父の帰りを待つことが日常だったが、泣き言を言ったりわがままを言ったりしている姿を全く覚えていない。

母と1才半くらいで引き離された私よりも、母の記憶がたくさん残っている兄の方が、私より何倍も辛く悲しかっただろうと思うが。


若干2歳と3歳。我ながら聡いきょうだいである。

 


とは言えまだ手のかかる子供が2人、プラス会社経営。男手一つではどう考えても手が足りない。


ばあちゃんが母親代わりとなったのは、こういった状況下なので必然だった。


 私にとって、ばあちゃんはばあちゃんであり、母親でもあるというのはこういった環境ゆえである。