毎日ばあちゃん

99才、お迎えが来たけど断ったばあちゃんの事。家族の事。自分の事。

vol.3  それから

母と祖父の死以降、自宅とその向かいに立つばあちゃんの家を行ったり来たりする生活が始まった。

まだおねしょをしがちだった私は、1人ばあちゃんの家に預けられることも多かった。

 

そうして母の死から2年ほどたったある日の日曜だった。

 

その日は日曜日で、お休みの父さんと、兄、私の3人で、近くの食堂に出かけた。

男やもめの子育てなので、ばあちゃんがいない時は外食が多い。

父はたいていカレーライス。

私と兄には2人で1つのお子様ランチと、最後に決まって1人に1つ、クリームソーダをたのんでくれた。

私はこの時間が大っ好きだった。

 

 

「お前たち、お母さんが欲しいか?」

帰りの車の中で、ルンルンと歌を歌う私たちきょうだいに父さんが尋ねた。

 

聡いきょうだいは、ほんの一瞬、お互いの目を見てコンタクトをとった。

そしてちゃんとさっきまでのテンションを維持したまま、私はまず兄にどうぞと先行を譲った。

 

「ぼくは、、お母さんはいらないよ。ぼくのお母さんは1人だけだもの。」

なるほど。

「あたしはお母さんいたらいいなぁ!ゆみこ先生みたいなかわいい人がお母さんだったらいいなぁ!」

なるほど。。

ゆみこ先生はその時の私の保育所の担任で、白くて細くて、優しくて、子供ながらになんてかわいい人なんだろうと本気で思っていた。お母さんになって欲しいとは思ってなかったけど。

 

でも、2人がいらないと言ってしまえば父さんはそれを尊重してしまう。

私たちのことよりも、父さんの自由に、思いのままに決めて欲しかった。

この時わたしたちきょうだいは、それぞれが自分の役割を、、あえて反対の意見を伝えた。

 

4歳と5歳にして早熟過ぎるきょうだいである。

 

 

そうして月日は流れ、父さんはお見合いの末再婚する。

私が小学校2年生になる時だった。

 

 

新しい母さんは、素晴らしく優しい人だった。

物腰が柔らかいというよりは、ちゃきちゃきしてて、キレイ好きで、働き者。

冗談を言ったりおどけたりして、いつでも明るいムードメーカーのような人だ。

 

母と祖父の死後どこか重たい空気をまとった家の中の霧が、少しずつ晴れていくようだった。

 

再婚を機に隣町に新しく家を建て、小学校を転校することになった時、私は担任の先生に耳打ちして教えてあげた。

 

「先生あのね、私に新しいお母さんができるんだよ!」

 

こうして新しい家でばあちゃんも一緒に、私たち家族は5人になった。

私の母は、1人から2人、そして3人になった。

 

 

 

思いで話がずいぶんと長くなってしまった。。。次回からはばあちゃんのはなし。