毎日ばあちゃん

99才、お迎えが来たけど断ったばあちゃんの事。家族の事。自分の事。

vol.8 ばあちゃん不死鳥のごとく

さて、一時は弥勒菩薩のお迎えが来たばあちゃんだったが

入院から3カ月程して意識が完全に戻った。

 

体力をあまり消費したくない?ときはお見舞いの人がきてても目を開けない。

これは意識的。

そしてそんな時でも隣のベッドのおばあさんがおならしたりすると、その音に反応して顔を向けたりする。

これは反射的。

その様子から、自分である程度、体力消費をコントロールをしているんだなーと分かる。

 

この3カ月、栄養は点滴のみ。口から水滴さえも摂取していない(こうなるとすでに機能が退化し、もう口から摂取というのは難しいのだそうだ。)

 

でもなんだかんだとどんどん元気になっていく。

4カ月経つ頃には会話できるようにまで回復してしまった。

(してしまったというのもおかしな話だが、予想外という意味で。)

今自分の目の前に誰がいるか、聞くとちゃんと答えるので、ボケているということもない。今度は不死鳥でも味方につけたのだろうか。。

 

意識が完全復活すると弥勒菩薩ポーズもしなくなった。

 

そしてこのあたりで、お医者さまから胃ろうか鼻か。と、栄養剤の導入をすすめられる。

 

ばあちゃん自身に直接聞いても、「なんでもいいんだよー。as you like!」

とは言わなかったが、

胃ろうはこの年齢にはかなりの負担だし、さすがにそこまでの体力はないだろう・・ということで、父さん苦渋の決断。鼻にチューブを通すことにした。

 

私自身は「ばあちゃん本人が望まない限り必要以上の延命は、、」という気持ちもあったが、ばあちゃんは既にそこまで複雑な事は判断出来ないし、

ばあちゃんと60年以上一緒に暮らし(まさに苦楽をともにし)100歳になるまでばあちゃんを見守り支え続けてきた、父さんと、そんな父さんとの再婚により30年以上にわたってばあちゃんとともに暮らし、介護もしてきた母さん。この2人の意思が最優先されるべきと思った。ばあちゃんもきっと、それが一番だと言うはずだから。

 

これにより、ばあちゃんは四六時中手袋みたいなものをはめるという両手の拘束を余儀なくされた。

(鼻のチューブは自分で抜くことも出来てしまう。そうやって栄養剤が気管支など他の器官に謝って入ってしまうと詰まらせたりむせこんでしまったりする可能性があり、それは全ての器官機能が弱まってる老人にとって命取りになってしまうため、拘束は致し方ないのだそうだ。。)

 

うちの家族は毎日お見舞いに行っているので、誰かがいる間は拘束手袋を外すことができる。

 

ばあちゃんは手が自由に動かせるようになると途端に、体の痒いところをかいたりするので、意識のしっかりしている人にこんなしうち・・ばあちゃんの尊厳とは・・・。100歳近く生きてきて、最後にこんなこと・・・・なんて最初はその光景にひどく戸惑った私。


でもそんなある日。

その日は自分1人でお見舞いに来ていて、面会時間も終わるのでそろそろ帰ろうかという時のことだった。

 

「帰る時には必ず拘束手袋を元通りにして帰ること」と言われていた私は、ばあちゃんの手に手袋をはめながら

「ごめんねぇ、、ばあちゃん。痒いところもかけないようなこんな手袋、着けたくないよねー。でもこれをしないと危ないからね、、堪忍ね。。」

と言いながら手袋をはめていた。

 

そしたらばあちゃんは自分の力でちゃんと、右手、左手と順番に手のひらを差し出しながら

「なんも、ご、ごめんじゃないよー。ばあちゃんはあ、ありがとうと思っているよ。アリガトー!」と出ない声を振り絞って言った。


そして手袋をはめた両手を顔の前でひらひらと動かし、踊るようにおどけてみせた。

 

私はまた泣きそうになりながらも「そっかー。じゃあ私もありがとう!」と言って精いっぱいの笑顔を作り、一緒に手をフリフリした。

泣き笑いの私を見つめるばあちゃんのつぶらな瞳は、私に「泣いてくれるな、これは別れじゃない、新たな旅立ちなのだ。」と言っているように見えた。

 

このやり取りで私ははたと気づいた。

「そっか、、、ばあちゃんは今、すでに自分のために生きていないのだ。残された時間は家族に愛をふりまくため、そのために戻って来たということか。。

私は、、泣いている場合ではない。」



ばあちゃんが入院してから半年、あたしはいつでも涙腺崩壊状態で、ばあちゃんを思っては無闇矢鱈に泣いていた。

頭ではこんなんじゃダメだと分かりつつ、心が全くついていかなかった。

それが、この時を境に少し変化した。

ばあちゃんから脈々と受け継がれた自分の命を全うすることに、私は一生懸命になろう。



既に時空も時間も超えてどっかに行ってるときがあるようだけど、

 アラセン(アラウンドセンテナリアン)は諸々超越してる。悟りの境地だ。

すげーよばあちゃん。