毎日ばあちゃん

99才、お迎えが来たけど断ったばあちゃんの事。家族の事。自分の事。

vol. 12 母の記憶

亡くなった母の事を少し書いておこうと思う。


以前のブログでも簡単に触れたが、私の産みの母親は、私が2才半の時に癌で亡くなっている。


まだ30代だった。

なかなか風邪が治らない、と病院に行ってみたら末期癌だったらしい。


その時点で余命3ヶ月宣告を受け

すぐに入院生活が始まり、そのまま一度も自宅に帰れないまま半年ほどで亡くなってしまった。


母の入院生活が始まったのは私が2才になったばかり、兄が3才の時だから、

そんな幼子2人を残して死んでいく母の気持ちを思うと、神さまは本当に残酷だ。


さて、私たちきょうだいは言葉を覚えた瞬間から、赤ちゃん言葉ではなかった(これはばあちゃん談なのでウソか誠か怪しいところだが、にゃんにゃんではなく猫。わんわんではなく犬。という感じだったらしいw)というくらい聡いきょうだいではあったが、物心つくかつかないかの頃。さすがの私もその頃の記憶はほとんどない。

つまり、母の元気な頃の記憶がほとんどないということになる。


1つだけ、覚えている元気な頃の母とのエピソードは、兄が買ってもらった新しい靴を履いて喜んでいるのをみて羨ましがったら、それをなだめるために母がおんぶしてくれた・・・という、なんともありふれた、微笑ましい日常の1コマ。


写真を見たらもっと思い出すかなぁ、と思って何度もアルバムを引っ張り出してみたりもしたが、どんなに記憶を辿っても、入院前の母の記憶は他には出てこなかった。


ちなみに、大きくなった私に母からの手紙が、、とかドラマとかでよくあるような展開も待ってはいなかった。


逆に、入院してから亡くなるまでの半年ほどの記憶は色々と覚えている。


兄との2人のお留守番は、必要にかられ難なくこなした。たまにやってくる家政婦さんは自分が作ったものを食べないと怒る人だったから、好きじゃなかった。この人が来るなら誰もいなくていいやと思っていた。


父さんやばあちゃんと一緒に母のお見舞いに行ったこともよく覚えている。

よくベッドの下に潜り込んでかくれんぼをした。

お見舞いの場でもう帰って来れないことを分かりつつ「お母さんはいつ帰ってくるの?」と聞いて、母が泣いたこともよく覚えている。


それから、母のお葬式。


自分の記憶ではないが後から聞いた話によると、母のお葬式で私はずーっと震えていたらしい。

「この子は分かっているんだね。」と大人達で話していたものだと大きくなってからおばさんが教えてくれた。

震えていた記憶はないが、母が白い衣装を着て横たわっている様子や、兄を励まそうとお絵かきしたこと、お通夜からあけて翌日のお葬式で霊柩車に乗り込む自分。

途切れ途切れだが本当によく覚えている。

ただその情景を小学校に上がるまでずっと、何度も夢で見続けたから、もしかしたら上乗せされた記憶も混じっているかもしれない。



母と祖父の死を経て、いつしか私の中には自然と、家族をなくす事への漠然とした恐怖みたいなものが生まれた(らしい)。

小学生になる頃には毎日寝る前に神さま仏様、亡くなった母と祖父に、「家族がみんな健康で元気に過ごせますように、、事故にあいませんように、、、」などと祈りを捧げることが日課になった。

その時恐怖心からやってるという認識はなかったのだが、

これをしないと、家族の誰かに悪いことが起こるような気がしてやめられなかった。



さて、母の死は父にこそ耐え難いものだったと思う。

肺癌で亡くなった母。

当時ヘビースモーカーだった父。


後からおばさんに聞いた話だが、母が亡くなった時、父が泣くところを誰も見なかったらしい。それはとっても父らしいなと思う。

この頃父は、言葉にこそしなかったが、やり場のない悲しみ、自分を責め苦しんだ日々だったのではないかと思う。


当然だが、1日3箱吸っていたタバコをやめた。

あの頃、私がもう少し大きかったら、父を励ましてあげられたのにと悔やまれる。


自然母の話はタブーになっていった。

時おり、誰もいない時にばあちゃんや親戚のおばさんがチラリと母の事を教えてくれたりしたが、あえて深く追求することはしなかった。

でも、心の底ではいつも、お母さんてどんな人だったんだろう?と思っていた。


小学校2年生で父さんが再婚してからは、母の話は益々タブーになった。

ばあちゃんやおばさんも話さなくなったし、

聞いてはいけないことなんだと思っていたから自分から聞くこともしなかった。

(ばあちゃんには直接的に、「今のお母さんに悪いからね、死んだお母さんのことは話しちゃダメだよ」と何度も忠告されたw)



ただ一度だけ、父さんが母の事を口にした事がある。

その時は私と父さん2人きりで、リビングで寝そべってテレビを見ていた。

ふいに父さんが「お前の足首は母さんソックリで全然くびれがないなー。」と言った。

その時私は中学2年生くらい。

反抗期真っ只中だったし、突然のことでビックリして「そうなんだ。」と素っ気なく答えただけだったが、色んな意味でこの時の事を強烈に記憶している。

後にも先にも父の口から母の事が語られたのはこれ一度きりだ。




うまく説明出来ないが、ほとんど記憶のない産みの母は私の心の一部になった。

都合いい考えかもしれないが、何も情報がない代わりに、母は私の守護霊となって常に見守ってくれているような気がしていた。

心の中の母の存在は、私を強くしてくれた。

小中の頃は、母がついてるから私は無敵だ。とか、選ばれしもののような心持ちでいたものだ。

大人になった今でも、困ったことや悩んでいる時は相談するし、何か良いことがあると心の中でありがとうと言う。

自分がダメだなーという時には母にごめんなさいと言うし、産んでくれてありがとうといつも感謝してる。

いつも私の中に、亡くなった母がいる。

それはもう当たり前のように、無意識的に。



何度も言うが、亡くなった母と、今の母さんはそれぞれ大切で、優劣はない。

亡くなった母は心の中にいるし、今の母さんはいつでもリアルに、私の事を見守ってくれている。

多分、私という存在が未熟なために、2人の母が必要だったんではないかと思っている。


何が言いたいのかだんだん分からなくなってきたけれど、、、

記憶はなくても、何も形として残っていなくても、私が今ここにいるのは母が産んでくれたから。

そして、今こうやって元気に毎日楽しく家族がいられるのは、今の母さんがいるから。

血の繋がりは切っても切れない。

血の繋がりがなくたって家族としての絆は生まれる。


私はその両方を、一度に経験出来たのだから幸せだよなぁ。

そんな事を記憶を呼び起こす作業を通じて改めて思ったという話。



家族に心から感謝。



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