毎日ばあちゃん

99才、お迎えが来たけど断ったばあちゃんの事。家族の事。自分の事。

vol.7  弥勒菩薩現る

ばあちゃんは自発呼吸出来ているものの意識は行ったり来たりという状況で、もう長くはないだろうという医師の診断だった。

だから、無理な延命はせずに点滴だけで

出来る限り自然な形で送り出そうという親の判断に私も賛成だった。

 

 

点滴で最低限の栄養が補給できているため見た目にはほとんど分からない程度のスピード感だったが、でも確実に、日増しに衰えていくばあちゃん。

そしてほとんど目を覚まさなく(開けない)なった。

そんなばあちゃんを父さんと母さん、そして近くに住む親族が毎日通って見守り続けた。

 

入院から1カ月半たった頃、私は再びばあちゃんのもとを訪れた。

容態に特に大きな変化はなかったけれど、帰れるうちに帰り、会えるだけ会っておきたいと思った。

 

この時私は、懇々と眠り続けるばあちゃんのある様子に気がついた。

前に来たときと、右手の様子が違う。

人差し指と親指で軽くリングを作るような形をとり、そこから緩やかに伸びた残りの3本の指が口元に添えられている。

 

 

「気づいた?」

横からいとこのおばさんが声をかけてきた。

「これ。。右手が。」と答える私におばさんは

「我が家ではみんな、弥勒菩薩と呼んでます。」と言った。

 

 

 

まさに。穏やかな表情もあいまって、その様子は「弥勒菩薩」そのものだった。

 

点滴したり、体を拭いたりと外部的要因で日々手の位置は移動されるのだが、気付けばまたこの弥勒菩薩ポーズになっているのだという。

 

ついに、仏の境地に達したかと、見守る家族親族もみなこぞって弥勒菩薩降臨とささやきあったらしい。そしてこの状態は意識が完全に復活するまで続いた。

 

たぶん、のちに本人から語られる「お迎えが来たが断った」、のお迎えは、おそらくこのあたりに来ていたんじゃないだろうか。 

 

 

菩薩の境地。。

人間100年も生きればそうなるのだろうか?

いや、超高齢社会&医療も超高度化した今の時代、100歳を超える人は増えるだろうし、例え自分が100まで生きてもそうはならないだろうなぁ。何しろ何にも功徳を積んでいない。

 

ばあちゃんは、それがいい悪いという世間一般の評価は抜きにして、いわゆる精神性の高い人だったのではないかと思っている。

食品添加物や薬の類を極端に嫌うのは、昔の人なら誰しもかもしれないが、

神さま仏様、八百万の神の存在を本気で信じ、毎日朝昼晩と仏壇に念仏を唱え、念仏を唱えながら家中を浄化し、自分の畑で採れたもの以外、買ってきた食品全てに念仏を唱える。仏壇には毎食、私たち家族の食事と全く同じものを専用の小さい食器セット(お食い初めのセットのようなもの)でお供えする。

これを365日朝昼晩と欠かさずやる。

そしてこの行いにより、神様仏様、そしてご先祖様が、私たち家族を幸福と、極楽浄土に導いてくれると本気で信じていた。

 

これだけ聞くと、身内でなければちょっとやっかいなばあさんと思うかもしれない。

実際私も、神様・仏様が本当にいるのかどうか疑わしいと思っているし。

八百万の神はなんとなく信じているが)

 

でも私は、私たちのためにばあちゃんが毎日そうやってくれることにこそ意味があると思っている。ばあちゃんが家族の幸せを一心に願っているという事が、みんなに力をくれるのだ。THAT'S ALLだ。

 

 

ばあちゃんはよくお手当てもしてくれた。

風邪をひいたり体調を崩すと患部や頭に手をあてて、神様に祈るのだ。

子どもの熱や風邪は黙っていてもおさまるし、なんなら薬を飲めば一発なのに、ばあちゃんは薬は飲ませない。

ただひたすら、寝ずにお手当てをしてくれる。

 

3歳の時に一度、目の上をスッパリと切ってプロレスラーみたいに流血したことがあるが、その時もばあちゃんはひたすらお手当をしてくれた。病院には行かなかった。

(仕事から帰ってきた父さんは「なんで病院に連れていかないんだ!」と激怒してばあちゃんを責めたが、けなげな私はその時「全然痛くなかったんだよ。水道みたいに血が流れてきたけど大丈夫だよ、すぐ治るよ。」と父さんをいなした。)

 

私はそれで今でも目の上に大きな傷が残っていたりするのだが、私はこれが勲章というか、ばあちゃんと私の絆というか、お互いを思う気持ちの証のように思っている。

ばあちゃんは私のためを思ってしてくれた。私は、ばあちゃんが幸せならそれでいい。

お互いそれ以上も以下もない。とにかくただ相手を思う気持ちだけ。

 

なんなら私はこのばあちゃんの方針により、自己治癒力を高められたとも思っている。

人間死ななきゃいいのだ。とにかく。

人生半分近く生きたが、私は未だ健康体。

それが答え。

 

 

話が横道にそれたが、、ばあちゃんはそんな風に、かなり自己流ではあるがとにかく100年という時を生きる中で神様に祈り続けてきた人だ。ただひたすら。

その功徳の功が認められ?最後の時に(いや、まだ死んではいないのだが)弥勒菩薩が降臨したのではないかと私は本気で思っている。

 

そうであって欲しい。