毎日ばあちゃん

99才、お迎えが来たけど断ったばあちゃんの事。家族の事。自分の事。

vol.4 ばあちゃん脱走

「9〇才、薬一服のまず元気です。」

 

体が丈夫というのがこの世代にとってはことのほか自慢のようだ。

「あらー、そのお歳で、お元気ですねー。」という類のことを言われるたびに、上機嫌でこう答えていたばあちゃん。

 

生きているだけでまるもうけ、いつでもHAPPY!という長生きの秘訣を生まれながらにして持ち合わせていたような人なので、辛い記憶はすぐにどこかにしまいこみ、いつでもハミングしていたり踊ったりおどけたり、とにかく楽しそうにしていた。

そして90歳を過ぎても頭も体もしゃんとしていた。

 

「うちのばあちゃんは絶対100まで生きると思う。」

というのが私の昔からの口癖だった。

 

 

それが、95歳を過ぎた頃から急激に雲行きが怪しくなった。

この頃からばあちゃんの口癖は「ありがとありがと。」「サンキュサンキュ!」に変わり、特別な何かをしたわけでもないのに感謝されることが増えた。

1日の大半を寝て過ごすようになり、1つ1つの動きも鈍くなった。

 

目に見えるほどの体力的な変化。そしてありがとうの言葉。

私はまるで別れの挨拶をされているような気分になり、ちょっと困惑した。

 

そんな感じが2年ほど続いた2年前の冬。

私は久々に、年末年始を実家で過ごそうと帰省した。(お正月のシーズンに実家に帰るなんて実に10年振りくらいだ)

 

うちの実家の初詣はちょっと特殊で、1日に3つの神社を回る。

1つめは家から徒歩圏内。上り坂がハードだけど距離が短いという比較的ライトな場所。2つめは延々と石階段で山道を上り続けるようなハードな場所。ここは一歩足を滑らせたら死の危険もあるような急こう配で、よく毎年死者が出ないもんだと感心するような立地だ。

そして最後の1つは街中にありフラットな立地だが人が多く参拝まで牛歩戦術という3つの神社。

元旦の朝から出かけ、3つをまわりきるころには日もとっぷりと暮れてしまう。

このけっこうハードな初詣ノルマを達成する頃には寒さで体が縮こまり相当な体力を消耗する。

ゆえにばあちゃんを連れて行ったことは一度もない。

 

のだが、この時ばあちゃんは急に「私も行く」と駄々をこねた。

いやいや、ばあちゃんの足腰ではとうてい無理だし!ここは真冬の北国。延々と外にいて風邪でもひいたら大変だからと家族みんなになだめられ、しぶしぶお留守番を承諾してくれたので、ほっとしてばあちゃんを置いてみなで出かけた。

 

 

1つめの神社参拝を終えた時。父さんが急に「帽子を忘れた、取りに帰る。」と言い出した。

外出時には必ず帽子をかぶる父さんが帽子を忘れたことにちょっと驚きつつ

私は、これからあと2つ回らなければならないことを考えると、少しでも早くまわりたい気持ちだった。

 

「フード付きのコート着ているんだし、寒いんだったらフードを被ればいいじゃん」と私はわざわざ帽子を取りに帰るという事に反対したが、父さんはこの時すでに虫の知らせを受けていたのかもしれない。

「いや、いったん取りに帰る」と頑として譲らなかった。

 

車が自宅の近くに差し掛かったところで家族みんなが異変に気付いた。

真っ白に、わさわさと降り積もる雪の中、背を丸めたような茶色い塊が道端にうずくまっていた。

見た瞬間家族全員が一斉に「あっ!!」と叫んだ。

それはばあちゃんだった。

 

私は急いで車から飛び降り、雪の中を走りながらばあちゃんに向かっていった。

近づくにつれ、ばあちゃんがコートを着ずに洋服のままだという事が分かった。

「ばあちゃん!!!」

そう叫んだ私の声にのっそりと顔を上げたばあちゃんの顔色は真っ白だった。

駆け寄って両手を包み込むように握りしめたら、その手にまだほんの少しぬくもりがあって安心した。

 

「ばあちゃん、どうしたの?なんでここにいるの?」

私は大きな声を出さないように慎重に、優しい声で問いかけた。

「初詣に行こうと思ったんだよ。毎年みんなで行ってる初詣。でも、置いてっちゃったから・・自分で行こうと思って・・」

焦点の合わない目をしながらぼそぼそと答えるばあちゃんを見て、私の鼓動は早まった。

「そっか、ごめんね。そうだよね、毎年ばあちゃんも一緒に行ってたのに、今年は置いていってごめんね。こんなところにいたら風邪ひくから、とりあえずうちに帰ろうね。」

そんな会話をしている間に、他の家族も追いついてばあちゃんを抱きかかえるようにして歩いた。

父さんだけは、少し遠い目をしているような、茫然としているような様子で離れた場所からその光景を眺めていた。

 

 

 

 

ばあちゃんがどこか別の世界にいってしまったのは、この時が初めてということだった。

家族みんな神妙な面持ちで、足の少し先を見たり、口に手を当てるようなしぐさで固まり、しばし沈黙の時間が続いた。

 

 

次の日起きてきたばあちゃんは、何事もなかったようにご飯を食べ、食べ終わったらうとうとし、また目を覚ましたらおやつを食べるという日々のリズムの中にいた。

世界もちゃんとこの場所にあって、昨日のことは全く覚えていないようだった。

でも確実に、この時を境に何かが変わった。

私はこの時初めて、実家から遠く離れて暮らしていること、これからまた飛行機に乗って帰らなければならないことが不安で不安でたまらなくなった。